10月 1, 2014
"榎本の信条は「球界を代表するピッチャーの最も得意な球を打つ」ことだったという。フェンス直撃の当たりを打っても、「何でフェンスを越えないんだ」と塁上で首を傾げ、ずっと悩んでいた。理想としていたバッティング理論に拘り、打撃が上手くいかずにいらいらした時には、家の中でバットを持って暴れたりした[25]。また、打撃に何か活かせないかという理由で映画を見たり、猫の動きを勉強したり、水道の蛇口から出る水を2時間ほど見つめていたりしたこともあった。スランプ時には寝ていてもうなされ、バットを見るのも嫌な時があったが、それでも命がけで「自分の体がぶっ壊れて、おっ死んでもいい」という強烈な練習を何度もしたと語っている。キャリアの峠を越し、打撃に衰えが見えていた現役最終年には、「オリオンズの榎本はもう死んだんだ」と言ったとされる[25]。"

榎本喜八 - Wikipedia (via petapeta)

(petapetaから)

10月 1, 2014
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野村克也が現役時代に最も恐れた打者の一人である。野村が対戦相手の打者を「ささやき戦術」でかく乱した事は広く知られているが、榎本に対しては独特の雰囲気に呑まれ、ささやく余裕を無くしたと後年に証言している。また野村は榎本について、「は榎本と似てましたね。同じコーチに習ったせいでしょうけどね。まあ、こっちはいつも榎本と対戦しているんで、王を攻めるのは易しかったですよ。例えば、王の選球眼は凄いって言われるが、榎本のほうがもっと凄いですよ」、「王は際どい球にピクっとバットが動きそうになるんで、こちらとしても攻めやすいが、榎本は全然動かんのですよ……。ホント、あんな恐ろしいバッターには、後にも先にもお目にかかったことはないね」と語っている。また、野村は「榎本ほど選球眼のよい選手を私は見たことがない。 ボール球に手を出さないのは勿論のこと、苦手なコースというものも殆どないのだから、捕手としてはお手上げである。 唯一苦手なのが内角高めなのだが、そこも余程速い球でないと手を出してくれない。私の囁きもまったく通用しなかった」[29]、「ボールを見送るとき、頭がピクリとも動かない。表情も変わらない。王のほうが、よほど扱いやすかった。あれほどに恐ろしい打者には、後にも先にもお目にかかったことがない」、「あれほど雰囲気のあるバッターはいない」、「捕手野村として、一番対戦したくなかった打者」とも述べている[11]

この件については稲尾和久森安敏明も同様の証言をしており、ストライクゾーンぎりぎりのコースに投げても、榎本はそれがボール球なら首を少し動かすだけで見送り、身体やバットは微動だにしなかったという。稲尾は「とにかくボール球は絶対と言っていいほど手を出さなかった。外角ギリギリに投げ込んだスライダーを、ピクリともせず見送られたのにはまいった」と語っている。また稲尾がフォークボールを投じた唯一の打者である。稲尾は榎本を打ち取るためだけにフォークボールをマスターしており、「自分が対戦した中で榎本さんは最高にして最強のバッター。もっとも雰囲気のあるバッターでした」、「私はヒジへの負担が大きかったのでフォークボールを投げなかったんですが、榎本さんだけには投げざるを得なかった。1試合に5球以内と限定して、ただひとりだけに投げてました」、「構えたままで見切る、ボールの見送り方が嫌だった。無気味なくらいの集中力を感じましたね。シュートもスライダーもきれいに打たれてしまうので、榎本さんにだけはフォークを投げた。たったひとりのバッターを抑えるために新しいボールを覚えなければならなかったんです。榎本さんとの勝負だけは野球をやっている感じがしませんでした。スポーツではなく真剣勝負、そう、果たし合いだったような気がします」と振り返っている[11][30]

足立光宏は「榎本さんのは同じヒットでもボテボテじゃなく完璧に芯でとらえたヒット。自信を持って投げたボールをきっちり打ち返してくるんです。それも機械のような正確さで。いってみれば球界の宮本武蔵。打率では計り知れない怖さを感じました」と評しており、足立と捕手の和田博実は、榎本のミートポイントはかなり捕手寄りで、変化球を曲がりきった所で打たれてしまうのでお手上げだったと証言している。また杉浦忠は榎本について、「投げる球がなかった。当たり損ないの内野安打やバントヒットなどはほとんどなかった。それで通算打率.298は凄いの一言に尽きる。引っ張り専門の弾丸ライナーで、アウトになった打球もほとんどヒット性の当たりだった」と述べ、「昭和30年代を代表するバッターを挙げろと言われれば、榎本喜八、張本勲、山内一弘、長嶋茂雄、王貞治の名前を挙げます」と榎本の名前を最初に出している[11]

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榎本喜八 - Wikipedia (via petapeta)

(petapetaから)

10月 1, 2014
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野村克也が現役時代に最も恐れた打者の一人である。野村が対戦相手の打者を「ささやき戦術」でかく乱した事は広く知られているが、榎本に対しては独特の雰囲気に呑まれ、ささやく余裕を無くしたと後年に証言している。また野村は榎本について、「は榎本と似てましたね。同じコーチに習ったせいでしょうけどね。まあ、こっちはいつも榎本と対戦しているんで、王を攻めるのは易しかったですよ。例えば、王の選球眼は凄いって言われるが、榎本のほうがもっと凄いですよ」、「王は際どい球にピクっとバットが動きそうになるんで、こちらとしても攻めやすいが、榎本は全然動かんのですよ……。ホント、あんな恐ろしいバッターには、後にも先にもお目にかかったことはないね」と語っている。また、野村は「榎本ほど選球眼のよい選手を私は見たことがない。 ボール球に手を出さないのは勿論のこと、苦手なコースというものも殆どないのだから、捕手としてはお手上げである。 唯一苦手なのが内角高めなのだが、そこも余程速い球でないと手を出してくれない。私の囁きもまったく通用しなかった」[29]、「ボールを見送るとき、頭がピクリとも動かない。表情も変わらない。王のほうが、よほど扱いやすかった。あれほどに恐ろしい打者には、後にも先にもお目にかかったことがない」、「あれほど雰囲気のあるバッターはいない」、「捕手野村として、一番対戦したくなかった打者」とも述べている[11]

この件については稲尾和久森安敏明も同様の証言をしており、ストライクゾーンぎりぎりのコースに投げても、榎本はそれがボール球なら首を少し動かすだけで見送り、身体やバットは微動だにしなかったという。稲尾は「とにかくボール球は絶対と言っていいほど手を出さなかった。外角ギリギリに投げ込んだスライダーを、ピクリともせず見送られたのにはまいった」と語っている。また稲尾がフォークボールを投じた唯一の打者である。稲尾は榎本を打ち取るためだけにフォークボールをマスターしており、「自分が対戦した中で榎本さんは最高にして最強のバッター。もっとも雰囲気のあるバッターでした」、「私はヒジへの負担が大きかったのでフォークボールを投げなかったんですが、榎本さんだけには投げざるを得なかった。1試合に5球以内と限定して、ただひとりだけに投げてました」、「構えたままで見切る、ボールの見送り方が嫌だった。無気味なくらいの集中力を感じましたね。シュートもスライダーもきれいに打たれてしまうので、榎本さんにだけはフォークを投げた。たったひとりのバッターを抑えるために新しいボールを覚えなければならなかったんです。榎本さんとの勝負だけは野球をやっている感じがしませんでした。スポーツではなく真剣勝負、そう、果たし合いだったような気がします」と振り返っている[11][30]

足立光宏は「榎本さんのは同じヒットでもボテボテじゃなく完璧に芯でとらえたヒット。自信を持って投げたボールをきっちり打ち返してくるんです。それも機械のような正確さで。いってみれば球界の宮本武蔵。打率では計り知れない怖さを感じました」と評しており、足立と捕手の和田博実は、榎本のミートポイントはかなり捕手寄りで、変化球を曲がりきった所で打たれてしまうのでお手上げだったと証言している。また杉浦忠は榎本について、「投げる球がなかった。当たり損ないの内野安打やバントヒットなどはほとんどなかった。それで通算打率.298は凄いの一言に尽きる。引っ張り専門の弾丸ライナーで、アウトになった打球もほとんどヒット性の当たりだった」と述べ、「昭和30年代を代表するバッターを挙げろと言われれば、榎本喜八、張本勲、山内一弘、長嶋茂雄、王貞治の名前を挙げます」と榎本の名前を最初に出している[11]

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榎本喜八 - Wikipedia (via petapeta)

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10月 1, 2014
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野村克也が現役時代に最も恐れた打者の一人である。野村が対戦相手の打者を「ささやき戦術」でかく乱した事は広く知られているが、榎本に対しては独特の雰囲気に呑まれ、ささやく余裕を無くしたと後年に証言している。また野村は榎本について、「は榎本と似てましたね。同じコーチに習ったせいでしょうけどね。まあ、こっちはいつも榎本と対戦しているんで、王を攻めるのは易しかったですよ。例えば、王の選球眼は凄いって言われるが、榎本のほうがもっと凄いですよ」、「王は際どい球にピクっとバットが動きそうになるんで、こちらとしても攻めやすいが、榎本は全然動かんのですよ……。ホント、あんな恐ろしいバッターには、後にも先にもお目にかかったことはないね」と語っている。また、野村は「榎本ほど選球眼のよい選手を私は見たことがない。 ボール球に手を出さないのは勿論のこと、苦手なコースというものも殆どないのだから、捕手としてはお手上げである。 唯一苦手なのが内角高めなのだが、そこも余程速い球でないと手を出してくれない。私の囁きもまったく通用しなかった」[29]、「ボールを見送るとき、頭がピクリとも動かない。表情も変わらない。王のほうが、よほど扱いやすかった。あれほどに恐ろしい打者には、後にも先にもお目にかかったことがない」、「あれほど雰囲気のあるバッターはいない」、「捕手野村として、一番対戦したくなかった打者」とも述べている[11]

この件については稲尾和久森安敏明も同様の証言をしており、ストライクゾーンぎりぎりのコースに投げても、榎本はそれがボール球なら首を少し動かすだけで見送り、身体やバットは微動だにしなかったという。稲尾は「とにかくボール球は絶対と言っていいほど手を出さなかった。外角ギリギリに投げ込んだスライダーを、ピクリともせず見送られたのにはまいった」と語っている。また稲尾がフォークボールを投じた唯一の打者である。稲尾は榎本を打ち取るためだけにフォークボールをマスターしており、「自分が対戦した中で榎本さんは最高にして最強のバッター。もっとも雰囲気のあるバッターでした」、「私はヒジへの負担が大きかったのでフォークボールを投げなかったんですが、榎本さんだけには投げざるを得なかった。1試合に5球以内と限定して、ただひとりだけに投げてました」、「構えたままで見切る、ボールの見送り方が嫌だった。無気味なくらいの集中力を感じましたね。シュートもスライダーもきれいに打たれてしまうので、榎本さんにだけはフォークを投げた。たったひとりのバッターを抑えるために新しいボールを覚えなければならなかったんです。榎本さんとの勝負だけは野球をやっている感じがしませんでした。スポーツではなく真剣勝負、そう、果たし合いだったような気がします」と振り返っている[11][30]

足立光宏は「榎本さんのは同じヒットでもボテボテじゃなく完璧に芯でとらえたヒット。自信を持って投げたボールをきっちり打ち返してくるんです。それも機械のような正確さで。いってみれば球界の宮本武蔵。打率では計り知れない怖さを感じました」と評しており、足立と捕手の和田博実は、榎本のミートポイントはかなり捕手寄りで、変化球を曲がりきった所で打たれてしまうのでお手上げだったと証言している。また杉浦忠は榎本について、「投げる球がなかった。当たり損ないの内野安打やバントヒットなどはほとんどなかった。それで通算打率.298は凄いの一言に尽きる。引っ張り専門の弾丸ライナーで、アウトになった打球もほとんどヒット性の当たりだった」と述べ、「昭和30年代を代表するバッターを挙げろと言われれば、榎本喜八、張本勲、山内一弘、長嶋茂雄、王貞治の名前を挙げます」と榎本の名前を最初に出している[11]

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榎本喜八 - Wikipedia (via petapeta)

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10月 1, 2014
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巨人王貞治が伸び悩んでいた1962年、川上哲治監督は巨人のコーチとなっていた荒川博に「榎本を育てたように王を育ててくれ」と指示した。これに基づき、荒川が榎本に王への助言を頼んだ。榎本は実際に王の素振りを見て「君はスイングの後、右の膝が割れる(開く)からいけない。それだと力のある打球が飛ばないよ」とフォームの欠点を指摘。王の右足が動かないよう踏みつけながら素振りをさせ、フォームの矯正を指導した。

王との練習について、次のような逸話がある。1962年11月、荒川の勧めにより、羽賀準一の下で王・広岡達朗須藤豊と共に剣道を習った。その際、真剣を使って藁を切る練習を行い、全員失敗した(スイング時に無駄な力が入ると力を活かしきれないことを教えるため)。翌週、榎本と王が再び真剣を使った練習を許され、王は一回で藁を切ったが、榎本は失敗した。その帰り道、自身の不甲斐なさと王に先を越された焦りから、榎本は涙したという。帰宅後、父に頼んでありったけの藁束を集めさせ、真剣で斬り始めるも上手くいかず、荒川を呼び寄せて指導を乞い夕方に藁を斬ることができた。この際に榎本は羽賀の言う「無駄な力を使わない振り」を体得し、打撃への理解を深めたという[11]

榎本をプロ5年目から指導し、王貞治を本塁打王に育てた荒川博は、「榎本は真面目だから、首位打者を獲得してからも、さらに突き詰めようとした。王もよく練習したが、その突き詰め方は違った。王は運よくホームランになれば喜んだが、榎本はホームランになっても、こう打てばもっとよかったと考える。技術的には王よりも榎本のほうが上だった。しかし、榎本は極めようとしすぎたのだろう。精神的に大変な状態になった。その点、王は適当にサボることを知っていた。突き詰めた先に、ゆとりや遊びが生まれた。この点が、世界一のホームラン王になれた王と、そうでなかった榎本の違いではないだろうか。」と両者の違いについて寸評している[35]

同い年で同じ背番号「3」の長嶋茂雄に対しては、強い敵対心を燃やしていた。榎本は「相撲だったら長嶋に勝てる。超満員の観衆の前で一度長嶋を投げ倒すのが僕の夢でした。一塁にきた長嶋に言ってやろうと思いました。“長嶋、相撲で勝負しろ”と」と語っている[11]。また千葉茂は、ファンから人気があり派手な選手であった長嶋を「サーカスライオン」、ファンから人気がなく地味な選手であった榎本を「神主」と例えたことがある[5]

稲尾和久は、著書において、やりにくかった打者として榎本と長嶋茂雄の名前を挙げている。稲尾は打者心理から投球を組み立てていたが、この2人は「何を考えているのか分からなかった」という。稲尾の理論では「打者と対峙する時、気の強い打者は目を合わせてくる。気の弱い打者は目を合わせて来ない」が、榎本はそのどちらでもなく、「自分の方を見てはいるのだが、目は合わない。目ではなくて眉間を見られているようで不気味だった」と述べている。一方で長嶋については、日本シリーズで初めて対戦した際、じっと長嶋の目を見ても何も反応が返ってこなかったため、稲尾は「なんと隙だらけの打者なのか。一分の隙もない榎本さんとは大違いだな」と戸惑いつつも得意のスライダーを投じた。すると長嶋の身体がいきなり反応し、打たれたことのないコースを打てるはずのない体勢で打ち返してきて、長打にされたという。野村克也も、心理が読めずにやり難かった打者として、榎本と長嶋の名前を挙げている。

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榎本喜八 - Wikipedia (via petapeta)

(petapetaから)

10月 1, 2014
"スポーツジャーナリスト二宮清純が、通算1000イニング以上投げた往年の投手たちへ「最強打者は?」と質問したところ、最も多く返ってきた答えは榎本喜八の名であった。二宮は少年時代に見た晩年の榎本しか知らず、榎本と同時代に生きたパ・リーグの投手たちが張本勲・野村克也・中西太などの上に榎本の存在を位置づけようとすることが不思議だったという。二宮は榎本の残した数字を見て「史上最強と呼ぶには物足りない」と判断したものの、実際に古いテープを取り寄せて榎本の打撃を繰り返し見ているうちに、「その偉大さを理解すると同時に、ピッチャーが榎本を恐れる理由も理解できた」という旨のことを述べており、「何が凄いかといって、榎本の打球はミリ単位も左右にブレないのだ。順回転のスピンで猛禽のように野手を襲うのだ。順回転のスピンというのは、すなわち寸分の狂いもなくピッチャーが投じたボールを打ち返している証拠であり、ピッチャーにしてみれば何一つとして言い訳が許されない。さながら一太刀で眉間を割られたようなものだろう」と評価している[33]。また、二宮は少年の頃に晩年の榎本の「一、二塁間を真っ二つに割る強烈なライナーが印象に残っている」と記している[33]。なお、右翼スタンドや右中間スタンドへの突き刺さるような榎本の本塁打は、負傷者を生み出したことがあった。打球を取ろうとして避けきれず、顔にボールを受けて昏倒した観客までいたという[33]。"

榎本喜八 - Wikipedia (via petapeta)

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10月 1, 2014
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429: 下痢気味(岡山県):2008/10/14(火) 00:15:55.02 ID:47p4JkL3
宇宙の歴史が130億年っておかしくね?
なんでわかんねん

438: 主体思想研究会員(愛知県):2008/10/14(火) 00:20:18.13 ID:AEY08az5
»429
130億年先の天体が「均一に」
観測されないからだよ。

どんな性能の望遠鏡でも「均一」して130億年までなの。
地上の望遠鏡でも130億年
ハッブル宇宙望遠鏡でも130億年。

OK?

"

宇宙の不思議雑学教えて!:哲学ニュースnwk (via mcsgsym)

(元記事: gkojax (otsuneから))

10月 1, 2014
"

浮気した彼女に「だって…淋しくて我慢できなかったんだもん…」とか言われたとき、俺が「お腹空いてて我慢できなくて食い逃げをしました。悪いのはだ~れだ?」と質問したら、「空いたお腹が悪い…」とか言いながら泣きだしたときは、「こんな女を好きだったのか…」と自分に絶望したよ。

"

回転ケイク( ゚o゚ )さんはTwitterを使っています (via yellowblog)

(highlandvalleyから)

10月 1, 2014
"利口になる人は
「これを理解できないなんて、自分は馬鹿なんじゃないか」
と考える。
無知に留まる人は
「これを私に理解できるように説明できないなんて、君は馬鹿なんじゃないか」
と考える。"

私の子供を守るのは、武器を持たないあなたの手  無知と利口の分水嶺 (via petapeta)

(highlandvalleyから)

10月 1, 2014

neetnik:

DQNはやはりギャグセンスが高いから嫌いになれない。

kuwa

(mitaimonから)

10月 1, 2014

twinleaves:

香港デモのネット情報を削除 中国本土では見ることが出来ない現地の写真とは【画像集】

(mitaimonから)

10月 1, 2014
"138:名無しさん@九周年:2009/04/18(土) 11:51:01

昔、原チャリ盗まれたが、すぐに犯人が捕まった。高校生だった。
まさに盗む所を目撃して、追いかけたけど逃げられてたので、
警察でこいつが盗んだ男かどうか顔を確認させられた。
すぐに弁護士と犯人の両親が現われ、
「減刑の嘆願書の文面を用意したので、名前だけ書いて欲しい」と言い出して......。
(‘A`) モウネ...


140:名無しさん@九周年:2009/04/18(土) 11:55:58

»138
目の前で破って棄てた?

143:名無しさん@九周年:2009/04/18(土) 12:05:57

»140
断ったら、弁護士に「おまえは人間じゃない」くらいの調子で強く非難された。
そう聞こえただけで、実際にはもっとおとなしめの法律には絶対に引っかからない
ような言葉を選んでたけどね。
さすがに上手いね、口で食ってる人間は。
一人の少年の一生が、とか、許しを与えて更生を望む事こそ
我々大人の努めではないでしょうかとか。
ファミレスで割と大きな目立つ声で、ここで断ったら周りの人間にどんな目で見られるか
分かってんのか?みたいな。
とりあえず書いてあげて、裁判所宛(裁判官だっけか?)に厳刑の嘆願書を送った。
減刑の嘆願書は脅されて書かされたって。
犯人は常習犯だったので、見事に少年院に送られました。
"

高校生に原チャリが盗まれた(CROSSBREED クロスブリード!)

(元記事: crossbreed (mitaimonから))

10月 1, 2014
"何故今の若い子はストレートな反抗をしないのかというと、尾崎豊の歌に出てくる反攻とは、相手に受け止めてもらうという前提の甘えと、将来はその共同体に取り込まれることが約束されているから。しかし、それは今の若い子達が大人に対して抱いている感情である、「絶望」とは質が異なる"

Twitter / tyokorata (via whyareyouwanazawasan)

尻拭い役を押し付けられた絶望

(via golorih)

(mitaimonから)

10月 1, 2014

sunset by (marcojoerger)

sunset by (marcojoerger)

(元記事: R2--D2 (tk4sから))

10月 1, 2014
darylfranz:

さぁ、ここで二人の大技が決まっ…らなぁぁああああいいいいい!!!! - ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd

darylfranz:

さぁ、ここで二人の大技が決まっ…らなぁぁああああいいいいい!!!! - ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd

(highlandvalleyから)